「ガードが堅いね」「殻を破りなよ」という言葉が苦しい。
そうした言葉はある意味では的を射ているんだ。だけど、何かが異なる気がしてずっとモヤモヤしている。
いつの間にか自分が引いた記憶のない境界線が目の前に引かれていて、それを消すことが正しいのか悩み続けている。この境界線はいったいどこからきたのだろう?
もし、境界線が自分の引いたものでないとするなら、それを消した先にわたしは存在しているのかな。打ち解ける、心を許すということが境界線を無くすことと同義なのか少し考えてみたい。
人生において本当に打ち解けることができるような相手は、そんなに多くはないだろう。家族、親友、恋人、その程度かな。そうした意味では、自ら多くの人に対して境界線を引いているのかもしれない。でも、心理的距離が相対する人によって異なることは誰もが知っている。仮に「ガード」「殻」「境界線」が心理的距離を表しているのだとしたら、無理をしてまで破る必要はあるのかな?
心理的距離を縮めないと心を許した間柄になれないというのは、どこか間違っている気がするんだ。大切なことは、距離を保ったままでもコミュニケーションするにはどうしたらいいかを一緒に考えることだと信じたい。
2020/6/19