「最近のインターネットは……」とか言い出すと老害扱いされると思うから、ちょっと見方を変えて、なぜそう思ってしまうのかについて考えてみたいの。
最近のインターネットと言うからには、前のインターネットがあって後者が前者に取って代わられたという前提が必要になる。よく見かける意見は、「昔のインターネットはもっと現実とは異なる世界だったのに、最近のインターネットは現実と密接につながってしまった」というもの。ばるもこの意見に一時期、賛同していた時期があったので、言いたいことはよく分かる。
だけど、少し冷静になって考えてみたい。インターネットとは、そのような直線的な変化が生じる媒体だったのかということを。AがBに取って代わられ、AとBがパラレルに共存できない世界がインターネットなのだろうか?
時間や資源や人員に限りがある媒体(テレビ・新聞・雑誌など)は、どうしてもターゲットがマスに向いてしまう。だからマスの関心が変われば(より正しく言えばマスに受ける新しいネタが現れれば)、コンテンツもそれに沿って変化する。
では、インターネットはどうなのか。少なくとも個人でWEBサイトを運営している場合は、そのような制約は極めて少ない。サーバーの維持費さえ払えれば、おそらく生きている間は自分の好きなコンテンツを提供し続けることができる。つまり、たとえ現実と密接につながったとしても現実とは一線を画したコンテンツに溢れたインターネットも残り続けるのじゃないかな。
最近感じているのは、インターネットは「かくれんぼ」に似ているなということ。かくれんぼが上手な子は、参加者が少ないときは見つけてもらえるけど、参加者が多くなると時間切れで結局見つからずに終わってしまう。はてさて、かくれんぼが上手い子を見つけるには運に頼るしか無いのだろうか?
2020/6/26
検索サイトには2種類あって、ロボット型とディレクトリ型があるという話を中学校(?)の情報の授業で習った記憶がある。当時だとまだYahoo!カテゴリなどのディレクトリ型サービスが提供されていて実例があったのでよく分かったけど、最近の子は知らないのだろうか?
まあ、なんでディレクトリ型の話をするかというと、前回の話の解決策としての可能性を秘めていないかなとふと思ったから。ディレクトリ型について簡単に説明すると、人知と人手を駆使して構築したウェブディレクトリ内を検索できる検索サイトのこと。まあわかりやすく言うと、特定の人たちが登録に値すると判断したWEBサイトを階層構造をなしたカテゴリに分類して、検索できるようにしたものといったところかな。
ちょっと調べてみると、商業ベースのものはほぼすべてサービス終了しているけど、一方でボランティア方式で運営しているオープン・ディレクトリー・プロジェクト(ODP)というものが今でも継続しているとのことで、そのサイト¹をのぞいてみたら、専門的なサイトはもちろんだけど個人が運営しているマニアックなテーマのサイトが検索できてなかなか使えそうだった。
結局のところ、WEBサイトの内容を判断するといった観点では、人知の重要性が全くもって失われたわけでは無いなと感じる。それに、自分の少し知らない隣の世界に足を踏み入れることができるといった点でも階層構造カテゴリは重要かも。でも商業サービスがほぼ終了してるってことは、需要はないんだろうな。
まあ少しだけ希望が見えてきたので良しとしよう。もう少し書きたい事柄もあるけど、まだ内容が固まっていないので今日はここまで。
2020/7/9
1. Curlie.org link